風吹くままコラム風

風吹くまま(ゴルフ、ラーメン…)管理人がお届けする時事と風吹くままテーマに関するコラム(日記)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「吉村昭」 川西政明

タイトル「吉村昭」とそのままズバリの評伝。
川西政明著
河出書房新社
2008年8月

126冊の本を読破、資料・史料を集め、英雄著の「父母記」「憶敬吾」を複写。

そして、「生い立ち」どころか「吉村家の系譜」から始める。
吉村一族宗家の三重県津市に残る膨大な「吉村家文書」から、吉村昭誕生までの歴史を丹念に追いルーツを探る。
戦国時代の武将福島正則の家臣である吉村又右衛門伸顕(宣充)から、大正時代の父(隆策)が東京(日暮里)に出てきた。

骨を折る
吉村隆策の九男として生を受けた「昭」が戦中をくぐり抜け、その当時死の病「肺結核」にかかり生存率30%の手術(肋骨5本取る)をし、戦後、吉村昭は生き返った。

戦艦武蔵
作家を目指すも、芥川賞候補4回をスルーし、同じ作家を目指す北村節子と結婚し、妻、津村節子が少女文学だけでなく純文学を目指し、「さい果て」、「玩具」で芥川章を受賞。
夫、吉村昭の苦悩は続くも、「戦艦武蔵」という記念的戦史小説を史実を取材中に、田野畑村での集団自殺を題材に「星への旅」、黒四ダムの水没する落人村の「水の葬列」を新設の太宰治賞に出し、「星への旅」が受賞。

そして「戦艦武蔵」を書き始めた。
冒頭は、昭和十二年七月七日、盧溝橋に端を発した中国大陸の戦火は、1ヶ月には北平を包み込み、次第に果てしないひろがりをみせはじめた。
その頃、九州の漁業界に異変が起こっていた。(略)
はじめに棕櫚の繊維が姿を消していることに気づいたのは、有明海沿岸の海苔養殖業者たちであった。
「戦艦武蔵取材のノート」

逃げる(1)北へ
少年は逃げる。
歴史の中を走って、少年は逃げる。
逃げる少年を吉村昭(私)は追う。
吉村昭(私)は逃げる少年のなかに歴史を見る。
その歴史に吉村昭(私)は自分のなかの少年を重ねる。
こうして出来た幾つかの小説がある。
「逃亡」

逃げる(2)脱獄の哲学
白鳥由栄は逃げた。
一九三六年六月七日、青森刑務所脱獄。
一九四二年六月一五日、秋田刑務所脱獄。
一九四四年八月二六日、網走刑務所脱獄。
一九四八年三月三一日、札幌刑務所脱獄。
「破獄」
逃げる(3)逃げ場がない
海軍火薬庫災害事件。
「陸奥撃沈」
逃げる(4)一九四一年十二月一日上海号
「大本営が震えた日」
逃げる(5)長英を追う
高野長英は一八三九年「夢物語」を書いて蛮社の獄という言論弾圧事件で自首し、獄死が耐えがたく脱走した。
六年に及ぶ全国の逃亡とその金の工面のための医療のため顔を焼いて江戸に入るも追っていより惨殺。
「長英逃亡」
逃げる(6)桜田門外の雪
関鉄之助の逃亡を追い、その日の雪が本当に降っていたのかを徹底的に史実を追う。
逃げる(7)輪王時宮の悲劇
自身の最後の歴史小説「彰義隊」
流される
江戸時代の多くの船が流された。
「漂流」「破船」「花わたる海」「北天の星」

土と熊
金魚、熊、蝸牛、二十日鼠、馬、十姉妹...
動物物はかれらが絶対に崩すことのない生活の秩序に魅せられる
特に熊嵐は2回書く。

仮釈放
「破獄」のモデル白鳥由栄の仮釈放された後の人間の悲劇をかく


弟の癌告知せず「冷たい夏、厚い夏」「二人」「死顔」


二〇〇六年七月三十一日午前二時三十八分。

「限界ぎりぎりまで生きてみたところで、苦痛にみちた時間を味わされるにすぎない。このような場合、患者は、自殺という行為によって苦しみからのがれたいと願い、それを実行に移すこともある。しかし、生を享けた人間の義務として、肉体の許すかぎり生きる努力を放棄するべきでない、と思う・

吉村昭が亡くなったあと、津村節子は四国八十八所の霊場を巡礼した。二人同行魂の旅であった。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://downwindow.blog6.fc2.com/tb.php/502-838d8f29
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。